名鉄の7000系列で存在した白帯車は7000系は4両、7700系は2両を組成しており、これらを単独又は組み合わせて本線系や支線特急等に使われていました。その後、特急専用車の増備で特急運用から撤退すると主に普通・急行等に使用されていました。
さて本題ですが、さっきも述べたように7000系の白帯編成は全て4両固定編成でそれ以外の固定編成は存在していませんでした。しかし1日限定で6両貫通の白帯編成が走ったことがあります。それは1985年9月に12代目の市川團十郎さんが成田山別院大聖寺へ襲名報告の際に同年9月29日に新名古屋から犬山まで團十郎さんと共に鉄道を利用する主催旅行が企画されました。当初は本来の4両編成で運転される予定でしたが、申し込みが多かったことから6両に増結されることになりました。しかし増結方法は7700系等他編成と連結するのではなく他の7000系白帯車から中間車を借りて編成に組み込み、6両貫通編成として運転されました。7000系の白帯車が6両貫通編成を組成し営業運転に充当されたのは後にも先にもこの時だけです。